[女性中央] パク・シニャンの楽しい人生の旅

「風の絵師」「銭の戦争」を演出したチャン·テユPDはインタビューで’パク·シニャンはいつも爆発する活火山のようだ。自分自身を直接打ち破るためにあちこちぶつかる’と言ったことがある。
その為ためなのか、俳優パク·シニャンはこれまで数多くのキャラクターを"生かし"てきた。
彼の生かしたキャラクターの残像がどれだけ強烈なのかと言えば映画の 「約束」は、あの場面が思い浮かぶ。大聖堂でひざまずいて座り’あなたが私にあなたの罪は何なのかと尋ねれば、この女に出会い、愛し...」と言いながむせび泣いたコン・サンドゥの姿。 ’エギヤ、カジャ’’あの男は私のもの、あの人が私の恋人だ。なぜ言えないんだ!’と叫んだ「パリの恋人」の ハン·ギジュの声も依然として鮮やかだ。その後も彼は「風の絵師」「銭の戦争」「サイン」で特有の存在感が光るキャラクターを作り上げてきた。


撮影環境や制作システムに対しても違うと思う時はそれらを変えるため、多くの代案を提示した。それで非難されたりもしたが、パク・シニャンチーム, パク・シニャンキャンピングカー, アクティングディレクター、スターパクスコーヒーなどがそうだ。またいつからか、ドラマ出演を決定する際に、徹夜の撮影をなるべくしないという事項を条件に掲げているが、良いコンディションが最高の演技を作るという彼の持論が垣間見れる一説ではあるが、理想と現実の差を受け止めなければならないという指摘も受けている。
どちらにしてもパク·シニャンは彼が属している世界で独歩的なキャラクターだ。彼を見れば自身がする事に対する確信と誇りが感じられる。おかげで彼は自他共に認めるプロフェッショナルだ。数年前からは自分がこれまで培ってきたものとノウハウを、第2、第3のパク·シニャンを夢見る学生たちに伝授し始めた。 "パクシニャンFUN奨学会"という名で、将来の芸術家たちを後援しているが、最近行った’画期的なショー’は、その奨学会に使われる奨学金を集めるための行事であった。

 

未来のアーティストのためのメントリング
最近直接企画演出した2度目のコンサートの’画期的なショー’でPSY(サイ)の‘鳥’を見せたパク・シニャンはあたかも水を得た魚のようだった。 彼が見せてくれた舞台はサイも泣いて喜ぶ程のきらびやかであり画期的であった。 続けてイ・ウォンジョン、キム・ヒョンボム、ハン・ガイン、パク・ジニなどの俳優たちが侮れない舞台を引き継いで、奨学会の奨学生の舞台も立派だった そんな中、ショーのMCをしたイ・ウォンジョンが彼に向かってこんなセリフを言った。

"彼らを連れて奨学会を作ると言ったときからわかった。一体なぜそんなに特別に生きようとするのか!"
今回の​​インタビューでその問いに対する答えを聞くことにした。
"奨学金"と "FUN"という単語の組み合わせがちょっとぎこちないでしょ?実は私も学校に通った時 "お金だけ与える"奨学金を受けたことがあります。時間が経ってこんな気がするんですよ。
"奨学金を与えるもらうという行為が、これよりもっと面白くはできないのか?
芸術奨学金は少しでもそうだったら良い。奨学金を受ける人も与える人も皆楽しかったら良い。"ここでの楽しいというのはただ面白い事とは違うんですよ。私は後輩たちと本当にきちんとFUNな出会いを分ち合いたかったのです。意味があって真剣だけど、FUNで。楽しくなければ意味がないでしょう?

 

奨学会でパク・シニャンさんはどんな事をしますか?
私どもの奨学会のモットーが '100個の芸術奨学金を作ること'ですが容易な事ではありません。私が世の中にいないとしても続く奨学会、 また他の先輩たちが後輩を教えて引っ張っていく奨学会を作りたいのですが、今はまだ開始段階にあります。そこで私は良い人々に出会い共にしようと努力していて、またしっかりした基金を作るためのさまざまな事業を構想して実行に移します。足踏み段階にある奨学会なので、すべきことが多いですが、楽しいです。一番重要だと思うことは後輩たちとどのように出会わなければならないのか? 良い指導者たちをどこでどのように捜し出して後輩たちに紹介しようか?と思うのです。そのように学ぶのです。私も導いて行きながらたくさん学んでいます。

 

 何を教え学ぶという事でしょうか? 
今までこの分野で得たすべてのノウハウと努力したものなどを全部教えるのです。しかしご存じのように私自身が長い間学び努力してきたので、分け与えるのにも時間が多少かかりそうです。渾身の力を出して育ててさらに多くの人々と共に‘楽しい旅’をしたいです。
奨学生の選抜基準というか、人を見る時どんな点を見るのか気になります。

嘘をつかない人、熱心な人、率直な人。演技を他の人のために、世の中を幸せにするためにしようと考える人、この子が本当に真剣にこの仕事をしているのか?学ぼうとするのか?そして自分自身について知りたいのか? そのようなことが重要だと思います。

 

後輩たちを具体的にどのように助けることができると考えるのか、基本的に芸術家を教育するということが可能だと思いますか? 
芸術家なのでそれに合う教育が当然必要です。文章を読んで書いてという事も必要で、自身を正しく理解し感情をきちんと伝えて話をしっかりすること、正直になる方法、全ての教育が必要だと考えます。ただ個人に合わせた教育をするのは難しいでしょう。だから芸術家を教育するということが不可能に感じたりもするでしょうが、必ず助けと教育が必要な職業が芸術家だと考えます。助ける方式は色々あるでしょうが、私は分野と関連したすべてのことを共にしようと思います。練習、訓練そして撮影などのすべての日程だけでなく読書や考えも共にしようと思います。登山も一緒にしてビールも一緒に飲みながら見せるんです。絶えず話のやりとりして、そしてこのように話します。良いものがあるならばすばやく学び、良くないと考えるならば従わなければ良い。そのように共にし見ながら学ぶことになるのです。

 

俳優になろうとする人々の最も大きい悩みは不確かな未来に対する不安ではないでしょうか?
‘俳優になることが出来るだろうか’ ‘俳優になったら成功出来るだろうか’このような悩みに対して先輩としてどのように答える方ですか?

私もやはり同じ悩みをしました。でも‘やりたい事をして飢えて死んだ人がいるか?’と考えてみた時‘ない’が私の答えでした。もちろん成功することはとても難しい道でしょう。 しかし誰かが答えを与えるものではないようです。自らが答えを出すべきです。

 

潜在能力だけ信じるのではなく‘この道でない’ということをはやく悟る事も必要ではないでしょうか?
潜在能力は練習なしでは何でもありません。 楽しいならば練習を続け、続けてみれば実力が増していくでしょう。 しかし楽しくないならば続ける事は出来ないということではないでしょうか? 難しくても楽しいこともあるでしょう。 大変でも続けたい程楽しくて良ければそれは自分の道でしょう。 違うという気がするならば、おそらくあまり好きでないのかも。

1_‘画期的なショー’を企画演出したパク・シニャンはこの日の舞台でサイの‘鳥’を熱唱。サイのような破格的な舞台を見せた。
2_俳優のコンサートに力を与えるために出演したユン・ドヒョン。 ‘忘れるから’と‘蝶’を歌って公演会場を熱い雰囲気にした。
3_パク・ジニは‘ヘイヘイヘイ’を歌ってロッカーの本能を発揮した。
4_バラード‘その男’を歌ったハン・ガインはすばらしい歌の実力でまた違う魅力を見せた。

 

私の人生のターニングポイント 
今は自身の考えと知っている事などを分ち合い、数多くの後輩たちの師匠となっているけれど、バス代がなくて歩いて通った時の悲しい記憶が彼にもある。 東国大の演劇映画科の在学時代、会費3万ウォンがなくてMTに行けなかったこともあり、卒業後ロシアのシェーフキン演劇大学に留学する時には登録料がなくて休学をしたこともある。29才まで、彼はたったの10ウォンも稼いだことのない貧しい青春だった。しかし、当時も俳優になるという確実な夢を抱いていた彼は‘師匠が居たら本当に良いだろう’という考えを度々したという。

 

人生のどの地点で‘俳優が私の道だ’という確信ができたのですか?
大学1学年の時俳優になりたいと考えた後、10年の間辛く悩んで考えて努力したと思います。生きながら必ず成し遂げなければならないのは何だろうか?本当に長い時間悩みました。しかし、いくら考えても演技をしなければならなかったんですよ。その後は悩みも疑いも無く続けて来たように思います。

 

‘私の人生のターニングポイント’はいつだったのですか?
高校を卒業し、演劇映画科に入った時、ロシア留学…そして私を韓国に呼び寄せた最初の映画等等…ふぅ~何度もありましたね(笑)。

 

ロシア留学の時期に生じた演技観の変化のようなものはありましたか?
演技観という話はよく分かりませんが、学校の授業中に発表をしたことがあります。 本当に最善を尽くして真剣にしたのですが、先生が“まさにそこから芸術が始まる”と途方もない称賛をしてくださったのです。 特に’演技というのはこんなふうにするんだ’とスキルやそんなことを話す事はできませんが、嘘をつかないということ、ふりをしないということ…. よく分かりませんね(笑)。その時はとても大変で、学ばなければならないという考えにから何でも吸収できたようです。 常に変化があったと思います。

 

ドラマ、映画、公演などのプロジェクトで自身の役割はどこまでだと考えますか?
私の役割…。 初めと今は大いに違います。コンサートでは私は俳優でもあり、演出もします。映画を撮るときは、私の演技も演技ですが、劇がよく流れるように様々な意見を出して、また他の出演者たちとも本当に話を沢山します。役割というのは限定され説明できないですね。演出者が俳優にどのように要求する時、最もとりとめなく、曖昧な言葉と感じた事だけを話す時。

 

プロジェクトの作業中、論争が広がった時の解決法を持っていますか?十分に聞きますか?どんな考えを持っているのですか?
何かあった時、普通誰に相談するか。 メンターが気になります。

私がその時の状況に合う人々を訪ね歩きて常に学びます。専門家から学び、本の中で答えを得る時もあり。助けてくださる方々がかなりたくさんいて本当に幸せだと思う時がよくあります。

 

仕事のほかに生活を豊かにするために何をさらにすればよいですか?
人に会うことを継続的にしています。人に出会うときに、新しい刺激を受け視野が広がります。奨学生たちとも時間を過そうと努力しており、奨学事業も私の人生を豊かにしてくれています。そして旅行。普段は旅行や登山を楽しむことで分かりますが、それを通して発見し得ることは何でしょうか。最近、コンサートを共にする仲間と近くの山に登りました。また、友人が住んでいる田舎にもよく行くのですが、静かな所に行ってこれまでの忙しい事を忘れ、多くのことを考え思い浮かべます。そしてまたそのことを実行に移し。旅は休息であり、出会いだと思います。

 

パク·シニャンと言えば思い浮かぶのは原則主義、模範生...こういう単語は気に入ってますか?
私がそうなんですか?(笑)そうしようというわけではないのですが、人々がそのように見ているなら、そうなんでしょう?気に入る気に入らないは、実際考えてみたことないけど...でも私がそうなんですか(笑)?

 

こんな人になりたい’と目指す姿はあるのか?
私自身に恥ずかしくない人でありたい、いつも切実に何かをしようと努力します。 私の座右の銘は‘最善を尽くそう。 それで死ぬ時恥じることがないようにしよう’です。 私は私に恥ずかしくなく、他の人に良い影響を与えることのできる先輩になりたいです。

 

いつか一度彼が自身の人生の目標に対して話したことがある。 死ぬ時後悔しないように。 それで死ぬ時“私の人生、なかなか良かったよ”という言葉を残したいと。
ドラマを選択する時も誰かが‘君がこれをして死んでも後悔しないか’と尋ねた時‘OK! 後悔しない’という決めた時はじめて出演を決心するという彼は、それだけ人生を生きていく方法がはっきりしている。彼がするすべての事から素晴らしさと粘り強さが同時に感じられる理由でもある。人生を真剣に、そうしながら楽しく生きること、まさにパク·シニャンスタイルだ。

 

 

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コメント: 1
  • #1

    glory (火曜日, 25 12月 2012 07:10)

    最も気になっていた部分の意味
    똑 부러짐과 뚝심이...確認できて幸いです。
    これからもたくさんインタビュー記事を読ませて下さい。